JOURNAL
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丸と嘉
「丸嘉」という屋号には、私たちの漆器づくりの哲学と、創業者・小坂嘉男の人柄がそのまま息づいています。名前のひとつひとつに込められた意味をひも解くと、"もの"と"こころ"のかたちが見えてきます。 屋号の「嘉」は、創業者・小坂嘉男の名前に由来します。「嘉」という字には、「よいこと」「喜ばしいこと」といった意味があり、古くから縁起のよい文字とされてきました。 そしてもうひとつの「丸」は、嘉男自身が愛してやまなかったかたち——“まる”。丸い器、丸いお椀、丸いお盆。その曲線には、手に取る人を優しく包み込むような温かさがあります。嘉男は、形としての「丸」だけでなく、「物事を円満に、調和の中で進めたい」という自身の生き方も、「丸」という字に託しました。 そうして生まれたのが、「丸嘉」という名前です。 単なる屋号ではなく、これは、人とものづくりの関係、そして職人としての美学を象徴する名前なのです。 今も、私たち丸嘉小坂漆器店は「丸」と「嘉」に込められた想いを大切にしながら、日々の製作に向き合っています。 丸いかたちの中に宿る、やさしさと強さ。嘉の心を受け継いで、これからも暮らしに調和をもたらす漆器を届けていきたいと願っています。
丸と嘉
「丸嘉」という屋号には、私たちの漆器づくりの哲学と、創業者・小坂嘉男の人柄がそのまま息づいています。名前のひとつひとつに込められた意味をひも解くと、"もの"と"こころ"のかたちが見えてきます。 屋号の「嘉」は、創業者・小坂嘉男の名前に由来します。「嘉」という字には、「よいこと」「喜ばしいこと」といった意味があり、古くから縁起のよい文字とされてきました。 そしてもうひとつの「丸」は、嘉男自身が愛してやまなかったかたち——“まる”。丸い器、丸いお椀、丸いお盆。その曲線には、手に取る人を優しく包み込むような温かさがあります。嘉男は、形としての「丸」だけでなく、「物事を円満に、調和の中で進めたい」という自身の生き方も、「丸」という字に託しました。 そうして生まれたのが、「丸嘉」という名前です。 単なる屋号ではなく、これは、人とものづくりの関係、そして職人としての美学を象徴する名前なのです。 今も、私たち丸嘉小坂漆器店は「丸」と「嘉」に込められた想いを大切にしながら、日々の製作に向き合っています。 丸いかたちの中に宿る、やさしさと強さ。嘉の心を受け継いで、これからも暮らしに調和をもたらす漆器を届けていきたいと願っています。
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木曾物と丸嘉小坂漆器店
私たちの工房がある「木曾平沢(古くは平沢村)」は、長野県・木曽谷の入口に位置する楢川地区にあります。江戸時代に整備された中山道沿いにあり、現在は観光地として知られる奈良井宿(かつての奈良井村)の枝郷として開かれました。 江戸の頃、平沢村や奈良井村の職人たちは、木曽谷の豊かな自然に育まれた良質な木材を用いて、曲物や漆器などを生み出していました。これらの手仕事の品々は、中山道を行き交う人々によって全国へと運ばれていったのです。こうして生まれた日常の道具は「木曾物」と呼ばれ、庶民の暮らしを支える品として広く親しまれるようになりました。 時代が移り変わっても、先人たちの技と心は脈々と受け継がれています。丸嘉小坂漆器店の営みもまた、その証しの一つです。そう考えると、私たちの仕事はこれからも、木曾物の存在を示し続けていくことなのかもしれません。
木曾物と丸嘉小坂漆器店
私たちの工房がある「木曾平沢(古くは平沢村)」は、長野県・木曽谷の入口に位置する楢川地区にあります。江戸時代に整備された中山道沿いにあり、現在は観光地として知られる奈良井宿(かつての奈良井村)の枝郷として開かれました。 江戸の頃、平沢村や奈良井村の職人たちは、木曽谷の豊かな自然に育まれた良質な木材を用いて、曲物や漆器などを生み出していました。これらの手仕事の品々は、中山道を行き交う人々によって全国へと運ばれていったのです。こうして生まれた日常の道具は「木曾物」と呼ばれ、庶民の暮らしを支える品として広く親しまれるようになりました。 時代が移り変わっても、先人たちの技と心は脈々と受け継がれています。丸嘉小坂漆器店の営みもまた、その証しの一つです。そう考えると、私たちの仕事はこれからも、木曾物の存在を示し続けていくことなのかもしれません。